■企画展「なつかしの宮窪のくらし」展 III
四阪島のくらし


 四阪島は、新居浜の北方約20kmの瀬戸内海上に位置します。
明治29(1829)年、当時の別子銅山の支配人・伊庭貞剛が、新居浜の煙害問題を解決するため、この地へ精錬所移転を決意し、明治38年より操業を開始しました。

 その後、34年かけて煙害問題を完全克服し、昭和51年の銅精錬中止にいたるまでの71年間、約220万トンにおよぶ銅を生産しました。最盛期の四阪島には約5000人が暮らしており、生活に必要な住宅、病院、学校、劇場などの施設や物資も整っていました。


背景写真:2005『四阪島物語』住友金属鉱山株式会社 より引用
 通勤制になった現在も、古い工場は現役で活躍しており、社宅の一部、学校など閉鎖当時のまま残されているものも多く、それらは貴重な産業遺産として注目されています。

 現在、従業員以外は、島に上陸することは出来ませんが、当時の雰囲気をこの企画展示で、感じていただきただければ幸いです。

【展示の内容】
四阪島小学校の教室再現
昭和30年頃の島の生活・ 工場などの写真(約20点)
海底ケーブル(一部)
水甕・洗面器 など