今治城について
今治城とは
関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。
慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測されます。海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城でした。寛永12年(1635)より松平(久松)氏の居城となりました。
明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりました。昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せています。
天守と山里櫓
今治城 年表
慶長5年(1600) | 藤堂高虎、関ヶ原の戦いで東軍に属する 戦後、伊予半国領主として20万石を領する |
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慶長7年(1602) | 今治城の起工 |
慶長9年(1604) | 今治城の普請(土木工事)完成 |
慶長13年(1608) | この頃、今治城がすべて完成か。高虎、伊勢・伊賀へ転封 高吉が今治2万石の城代となる |
寛永12年(1635) | 高吉、伊勢へ転封 松平(久松)定房が今治藩3万石の領主になる |
寛文5年(1665) | 定房、江戸留守居役(江戸城代)となり、関東に1万石の加増(以後、4万石) |
延宝4年(1676) | 松平定陳、弟定昌に5千石を分け与える (以後、3万5千石) |
元禄11年(1698) | 関東5千石と宇摩18カ村を替地 |
明治2年(1869) | 版籍奉還。松平(久松)定法が今治藩知事になる 今治城廃城 |
明治4年(1871) | 廃藩置県。今治藩が廃される |
昭和28年(1953) | 主郭部跡と内掘が県指定史跡になる |
昭和55年(1980) | 天守閣・多聞櫓・武具櫓などを再建 |
昭和60年(1985) | 御金櫓再建 |
平成2年(1990) | 山里櫓再建 |
平成19年(2007) | 鉄御門再建 |
施設案内
天守 | 藤堂高虎が五重天守を創建したと伝わり、形状は当時最新鋭の層塔型であったと考えられます。高虎の伊賀・伊勢転封と同時に解体されました。現在の天守は昭和55年(1980)に本丸北隅櫓跡に建てられた模擬天守です。 |
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1階 | 観覧券売場、管理事務所、トイレ |
2階 | 武具・絵図展示 今治藩主甲冑・藩刀匠の刀・槍・薙刀・火縄銃・その他の武具 今治城絵図・調度品 |
3階 | 書画展示 今治藩主遺墨・徳川将軍の朱印状・その他の書画 |
4階 | 企画展示 |
5階 | 写真展示 全国城郭写真・郷土史略年表 |
6階 | 展望台 来島海峡大橋・燧灘・石鎚連峰・市街地等を一望 |
多聞櫓 | 自然科学館 魚貝類標本・鳥類の剥製・鉱石、その他自然科学資料 |
御金櫓 (おかねやぐら) |
二の丸跡の東隅に立つ二重櫓。昭和60年(1985)に再建されました。 内部は郷土出身作家による現代美術館になっています。 |
山里櫓 (やまざとやぐら) |
二の丸北西隅に立つ二重櫓。平成2年(1990)に再建されました。 内部は武具や古美術品が展示されています。 |
鉄御門・武具櫓 (くろがねごもん ・ぶぐやぐら) |
二の丸の表門。巨大な枡形や付随する多聞櫓によって厳重に守られていました。枡形に侵入した敵兵に対しては、門の上部を含め三方向から攻撃できる構造になっていました。 平成19年(2007)に櫓門や多聞櫓などを忠実に再現復元し、内部を公開しています。 |
鉄御門
夜間ライトアップ
照明デザイナーの海藤春樹さんが照明の明るさ、色、角度などをデザインして、約100個の照明を石垣部分や天守に設置。暖色系の色で、城がより立体的に浮かび上がります。また、堀の水面には天守や石垣が映り、幻想的な光景となります。
ライトアップは毎日、日没30分後に始まり、午後10時までです。
昼間とは一味違う今治城の姿をご堪能ください。
ご利用案内
- 開館時間
- 午前9時~午後5時
※吹揚公園は24時間入園可 - 観覧料
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一般:520円
学生:260円
高校生以下または18歳未満:無料
高齢者(65歳以上):420円
団体割引(20人以上):一般420円、学生210円 - 休館日
- 12月29日~12月31日
その他展示替など、運営上必要なとき