村上三島について
略歴
村上三島(本名正一)は、大正元年(1912)8月25日愛媛県越智郡瀬戸崎村(現:今治市上浦町)に生まれました。幼少の頃両親とともに大阪府三島郡吹田町(現:吹田市)に移りました。号三島は、生まれ故郷の大三島(上浦町)と三島郡という二つの地名に由来し、故郷への思いを物語っています。
工業学校在学中に股関節カリエスに罹り足が不自由になりました。数え年15歳の時、国語教師の紹介で片山萬年(西予市宇和町出身)に師事し書道の道に入ります。昭和20年に辻本史邑に師事し、昭和23年(1948)官設美術展の流れを汲む日展に書の部門が初めて設置され、初出品で初入選を果たしました。その翌年には特選を受賞、以後も文部大臣賞や日本芸術院賞など受賞を重ね、昭和60年(1985)、日本芸術院会員に就任しました。
中国明末清初の王鐸に傾倒しながらこれに独特の解釈を加え、流麗で躍動感にあふれた独自の書風を確立、また篆書・隷書・楷書・行書・草書・かなを書き分けることのできる書家としてはもちろん、読める書「調和体」の提唱でも知られるように書道界全体の指導者、教育者として、また中国との国際交流にも貢献したとして、平成5年(1993)文化功労者に選ばれ、平成10年(1998)には文化勲章を受章しました。
平成17年(2005)8月に日展出品作品を最後に筆を置かれ、同年11月20日に逝去され、従三位を贈られました。
アトリエ
移設再現したアトリエは、昭和44年(1969)に大阪府吹田市から高槻市に移り「藍野山館」と命名し筆を置かれるまでの創作の場でした。愛用の書道用具や身近におかれた書籍などを展示しています。
窓の形状もほぼ同じように再現しておりとても明るい部屋でした。小高い丘にあり付近の地名の藍野(あいの)から藍野山館(らんやさんかん)と名付けられ、「藍野山館主」という落款も愛用されていました。
移設再現されたアトリエ
2004年1月高槻市のアトリエにて
アトリエの概要
面積:約10坪(約20畳)
天井高:約3.5m
コレクション
村上三島先生は、文房四宝にも造詣が深く、特に古墨や硯のコレクションには貴重なものもあります。アトリエと同じ展示室には、古墨や硯のコレクションも展示しています。
端溪天然黄龍紋硯
百老図
古墨のコレクション
硯のコレクション
コラム 『古墨について』
書家にとって大事な必要品を文房四宝と言っています。墨、硯、紙、筆の四つで、何れも古来から素晴らしいものが使われ、また今日まで伝え残されて来ました。四宝の中でも作家によって好みが違って、硯に凝る人があったり、墨に愛着を持つ人、この種の紙がよいとか、この動物の毛でないと、と千差万別で仲々楽しいものです。
私は墨が好きなんですが、その理由は、かつての著名な製墨者の心に胸うたれるからなんです。本来墨は使われて、よい香りだとか、何とも言えぬ色だとか、また艶も喜ばれるわけですが、使われるということは、墨自身にとっては、形も紋様も総てが亡くなってしまうことなのです。亡くなってしまうのが必定なら、どうしてあの姿や紋様、香りまで精根こめて、一見美術品ではないかと見まごうまでに美しいものにと凝ったのでしょうか、必滅であるが故により美しいものをと願った、製墨者の心は、私たちに無限の愛着と、いとおしさを感じさすと言ってもよいでしょう。
村上 三島
ご利用案内
- 開館時間
- 午前9時~午後5時
- 観覧料
- 一般520円(420円)
学生260円(210円)
※( )は、団体20名以上 - 休館日
- 毎週月曜日
(祝日の場合は原則翌日振替)
12月29日から翌年1月2日まで
多目的ホール
- 使用時間
- 午前9時~午後10時
- 座席数
- 600席