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文化・史跡

来島

来島の写真

瀬戸内海の難所である来島海峡の要に位置し、来島村上海賊の本拠地となった島。周囲が約850mと小さいながら、急潮流に守られた難攻不落の天然の要塞でした。全島が城跡で重要な史跡となり、櫓跡の石垣、矢竹、古井戸などが残ります。周囲の岩礁には無数の桟橋跡の柱穴もあり、当時の様子を物語っています。

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小島

小島の写真

糸山公園から来島海峡を見渡すと左手に見える島が小島です。
日露戦争当時、ロシア艦隊に備えて作られた砲台跡、弾薬庫、司令塔などが残されています。島に残る芸予要塞へ続く遊歩道は、2,500本のツバキの並木道となっています。

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芸予要塞跡

芸予要塞跡の写真

波止浜港から船で10分のところにある周囲4kmの小島。
日露戦争当時、ロシア艦隊の来襲に備えて造られた要塞が残っています。砲座跡、展望司令塔、赤レンガの地下兵舎などが点在し、ツバキ並木の遊歩道で結ばれています。
日露戦争時、国内の海岸要塞から28cm榴弾砲(りゅうだんほう)が旅順等に送られました。小島から送られた6門のうちの2門が旅順要塞攻撃に用いられたとされています。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の撮影のために製作された原寸大レプリカが小島港のすぐ近くの観光休憩所前に据えられています。

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今治城

今治城の写真

慶長7年(1602年)に城づくり名人・藤堂高虎が築城に着手。
全国的にもまれな海水を掘に引き入れた海岸平城で、5層6階の天守閣は展望台、展示室になっており、築城・開町400年を記念して、平成16年に藤堂高虎の銅像が建立され、平成19年には鉄御門(くろがねごもん)が再建されました。

【住所】 今治市通町3丁目1-3

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石塔めぐり

石塔めぐりの写真

乃万地区(今治市延喜)にある乗禅寺の本堂裏山の墓地の一角に土塀に守られた11基の石塔群があり、全てが国の重要文化財に指定されています。
鎌倉時代から室町時代初期にかけての五輪搭4基、宝篋印搭5基、宝搭2基があります。全て花崗岩製で工法・様式ともに優れたもので、当時この地方が、信仰・文化の高かったことを物語っています。

【住所】今治市延喜甲600

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今治藩主の墓

今治藩主の墓の写真

古国分の寺山(海抜約30m)の山頂にあります。
この墓所には、今治藩主であった初代久松定房、3代定陳、4代定基の3基が67基の燈籠に守られて老松の中に安置されています。正面中央の定房は松山藩主定行の弟で、両藩は共に徳川幕府の親藩でした。墓碑はいずれも巨大な宝篋印塔(県指定史跡)で高さは3.6mもあります。

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脇屋義助公廟

脇屋義助公廟の写真

国分寺から南東に少し歩いた山あいにあります。
南北朝時代、南朝方は四国の総大将として新田義貞の弟脇屋義助を刑部卿に任じて伊予(現在の愛媛県)に派遣しました。義助公は今治浦に上陸し本営を国府に移しましたが、20日ばかりで病没しました。現在の墓碑は江戸時代に再建されたものです。

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朝倉ふるさと美術古墳館

朝倉ふるさと美術古墳館の写真

伊予文化発祥地として数々の遺跡・史跡があり貴重な文化財が緑のふるさと公園内の美術古墳館に保存展示されています。

【住所】今治市朝倉下甲898

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野々瀬古墳群

野々瀬古墳群の写真

野々瀬古墳群、多伎の宮古墳群、牛神古墳等、5世紀~7世紀の間に造られたものが50基以上現存しています。中でも、野々瀬古墳群の七間塚が有名です。

【住所】今治市朝倉南乙(野々瀬)

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森繁久弥の詩碑

森繁久弥の詩碑の写真

昭和42年に映画の撮影で訪れた俳優の森繁久弥氏が、七五三ヶ浦を見下ろす展望の美しさに感動して残した詩が刻まれた石碑です。

【住所】今治市波方町宮崎乙176-1

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藤山健康文化公園

藤山健康文化公園の写真

出現期古墳時代の妙見山古墳(前方後円墳)をランドマークに整備された都市公園。
園内には、アスレチックや芝生広場などさまざまな憩いの施設があり、 大西藤山歴史資料館には、古墳から出土した遺物を展示しています。

【住所】今治市大西町宮脇乙579-1

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大西藤山歴史資料館

大西藤山歴史資料館の写真

妙見山古墳から出土した遺物を展示している資料館で、同古墳の再現された竪穴式石槨や出土した「斜緑四獣鏡」をはじめ貴重な出土品の数々を紹介します。

【住所】今治市大西町宮脇乙579-1

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妙見山古墳

妙見山古墳の写真

藤山健康文化公園の頂上にある古墳時代初期の貴重な前方後円墳で、古墳からは大西平野や瀬戸内海の斎灘が一望できます。
国指定史跡(平成22年指定)。

【住所】今治市大西町宮脇乙579-1

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証明寺(しょうみょうじ)跡

証明寺(しょうみょうじ)跡の写真

能島村上水軍の菩提寺跡、荒廃により隣に移築。境内には、14世紀造立の大型宝きょう印塔が残されています。

【住所】今治市宮窪町宮窪

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幸賀(こうが)屋敷跡

幸賀(こうが)屋敷跡の写真

現在の宮窪小学校後方一帯の台地。代々の能島水軍城主たちが構えた館跡といわれ、井戸跡や五輪塔が往時を偲ばせます。

【住所】今治市宮窪町宮窪

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宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印塔(ほうきょういんとう)の写真

大島島四国19番札所善福寺境内に建立されているこの塔は、高さ267cmの花崗岩製で、鎌倉時代の石造美術品です。現在も完全な形で保存されており、国指定重要文化財に指定されています。

【住所】今治市宮窪町友浦

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能島

能島の写真

日本の戦国時代を研究した宣教師ルイスフロイスから「日本最大の海賊」と呼ばれた能島村上氏の居城があった島。周囲約850m、面積約1.5haの無人島です。現在も、船かくし、けい船などに使ったと見られる柱穴が残っています。

【住所】今治市宮窪町宮窪

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鵜島三十三観音

 鵜島三十三観音 の写真

大島沖、鵜島の山峰伝いに並ぶ石物群。京都・大阪の西国三十三観音にちなんだ物と伝えられています。

【住所】今治市宮窪町

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小みかん

小みかんの写真

樹齢500年といわれている愛媛県指定の天然記念物。33本の樹幹は1本の親株から伸びた枝が根を張り、独立したものです。直径4cm以下に実る小みかんは、毎年、天皇陛下に献上しています。

【住所】今治市上浦町井口2711-2

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甘藷地蔵

甘藷地蔵の写真

甘藷伝来の功労者、下見(あさみ)吉十郎(1673~1755)を祀る石地蔵です。瀬戸の向雲寺境内にあります。
吉十郎は日本回国の旅に出た時、薩摩国日置郡伊集院村から甘藷を郷里に持ち帰りました。農民に栽培方法を教え、やがて瀬戸内一円に広まり、中でも享保の大飢饉の際は当地方からはほとんど餓死者を出さなかったと言われています。

【住所】今治市上浦町瀬戸1754

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甘崎城跡(あまざきじょうあと)

甘崎城跡(あまざきじょうあと)の写真

愛媛県指定史跡の甘崎城跡は、航路上の小島を拠点とする海賊衆の海城の典型といわれており、戦国時代末期には、来島村上氏の重臣である村上吉継(むらかみよしつぐ)の居城となりました。
城絵図やドイツ人ケンペルの旅日誌に記された威容は今になく、潮が干くと、海底から石塁の根石が姿を見せ往事を偲ぶことができます。
また、春秋の大潮などになると、対岸と砂州でつながる「海割れ現象」が起こり沖合約160mの甘崎城跡まで歩いて渡れるチャンスがあります。

【住所】今治市上浦町甘崎4661

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横殿宮跡

横殿宮跡の写真

うっそうとしたクスノキ林に囲まれ、荘厳な雰囲気の漂う鳥居が残っています。大山祇神社の旧社殿と伝えられています。

【住所】今治市上浦町瀬戸3979

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みたらしの水

みたらしの水の写真

横殿宮跡の少し離れたところにある「みたらしの水」は海水の中から湧きでる真水。大昔、神がみそぎをするために清水をわき出させたという伝説があります。

【住所】今治市上浦町瀬戸3884

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大山祇神社

大山祇神社の写真

日本総鎮守と呼ばれ、全国に一万社あまりの分社を持つ神社。
境内中央には樹齢約2,600年の神木である大楠が鎮座しており、神社内の楠群は日本最古の原始林社叢の楠群として、昭和26年に国の天然記念物に指定されています。
社号標(大日本総鎮守大山祇神社)の社号石は、初代内閣総理大臣の伊藤博文が明治42年3月22日参拝記念に書いたものです。その昔は水軍の武将たちの信仰も集め、大山祇神社の神紋「折敷に三文字」を河野氏や来島村上氏が家紋にしています。

【住所】今治市大三島町宮浦3327

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大山祇神社宝物館

大山祇神社宝物館の写真

全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の多くが収蔵、展示されています。
館内を見て回ると、源頼朝や源義経など、教科書でしか知らなかった歴史上の人物が身近に感じられるかもしれません。
また、大山祇神社は村上海賊の武将たちの信仰も集めたため、村上海賊の武将が詠んだ「法楽連歌」も多く奉納されています。

【住所】今治市大三島町宮浦3327

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生樹の御門

生樹の御門の写真

大山祇神社の神宮寺の奥の院の「生樹の御門」と呼ばれる大楠は、根回り約30mで、根元から2本に別れた門となっており、奥の院参拝にはこれをくぐっていくため、このように呼ばれています。

【住所】今治市大三島町

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正月鼻古墳公園

正月鼻古墳公園の写真

この古墳には箱形石棺が4基あり、そのうち2基から人骨、緑色凝灰岩精紡錘車形石製品、鉄剣、鉄刀など、5世紀初頭の珍しいものも出土しています。

【住所】今治市関前岡村

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