神社仏閣

延命寺(四国霊場54番札所)

延命寺(四国霊場54番札所)の写真

延命寺は、近見山宝鐘院と号し、行基の開基、空海の再興との伝えがあり、本尊は不動明王で、もと近見山山頂近くにありました。
宝永元年(1704)鋳造の梵鐘は、延命寺の歴史を刻む貴重な文化財であって、昭和63年4月に今治市の有形文化財に指定されました。

【住所】 今治市阿方甲636

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南光坊(四国霊場55番札所)

南光坊(四国霊場55番札所) の写真

古義真言宗御室派で、もと大三島大山祇神社の属坊として宮浦(大三島)に建てられたものですが、正治年間(1199~1201)に別宮大山祇神社の別当寺として8坊が移されたものの一つです。
明治維新の神仏分離令により境内を区切り、神社の本地仏「大通智勝仏」を南光坊の本堂に移して、別宮明神とはまったく分離しました。

【住所】今治市別宮町3丁目1

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泰山寺(四国霊場56番札所)

泰山寺(四国霊場56番札所)の写真

弘仁6年(815)当地に滞在した弘法大師は、人々を集めて堤防を築き、「土砂加持」の秘法によって「人取川」と恐れられた蒼社川を鎮め、一宇を建立したのが本寺で、地蔵経の中の「女人泰産」から泰山寺と名づけられたといわれています。本尊の木彫地蔵座像は、室町期の作で、修理されていますが、当地方屈指の巨像です。

【住所】 今治市小泉1丁目9-18

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綱敷天満神社

綱敷天満神社の写真

祭神は菅原道真公で江戸時代に国分の古天神から分離独立したと伝えられています。
道真公が藤原時平の策略によって大宰府の役人として左遷される途中、風波のため志島ヶ原の東入江に漂着しました。そのとき村人たちが漁船の綱を丸く敷いてもてなしたのが社名の起源だといわれています。

【住所】今治市桜井6丁目2-1

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国分寺(四国霊場59番札所)

国分寺(四国霊場59番札所)の写真

天平13年(741)聖武天皇発願によって創建。七堂伽藍が完備した寺院で、空海や真如法親王も訪れています。
純友の乱以後度々の兵火で焼かれましたが、多くの貴重な寺宝があり、県指定有形文化財2点、市指定の有形文化財15点などがまとめて保管されています。

【住所】今治市国分4丁目1-33

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栄福寺(四国霊場57番札所)

 栄福寺(四国霊場57番札所)の写真

蒼社川の右岸にある府頭山の中腹にあり、平安初期弘仁年間に嵯峨天皇の勅願によって、弘法大師・空海が開いた高野山真言宗の閑静な寺。

【住所】今治市玉川町八幡甲200

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仙遊寺(四国霊場58番札所)

 仙遊寺(四国霊場58番札所) の写真

作礼山の山頂にあり、天智天皇の勅願により創建され、本尊の千手観音は、龍女の作という。前庭からは、東方眼下に今治市街を、遠くには瀬戸内の島々を一望できます。

【住所】今治市玉川町別所甲483

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遍照院(厄除け大祭)

 遍照院(厄除け大祭) の写真

毎年2月の節分の日に行なわれる「遍照院:厄除け大祭」では、県内外から厄年を迎えた大勢の人が訪れ、厄除け祈願を行ないます。
山門の入り口でわら草履に履き替えた老若男女たちが、参拝祈願を終わるとこれを脱ぎ、護摩を焚いて焼き、厄除けを祈願するのが慣習となっています。
午前10時と午後2時に、61歳の男女による餅まき、豆まきが行われます。瓦の町ならではの「福は内、鬼も内」という掛け声で賑わう。続いて41才厄男にかつがれ、鬼瓦みこしが繰り出します。

【住所】今治市菊間町浜89

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加茂神社(お供馬の走り込み)

加茂神社(お供馬の走り込み)の写真

「お供馬の走りこみ」という祭ごとは平安の昔、京都賀茂の雷神社(きょうとかものいかずちじんじゃ)で行われていました。
当時は「競馬会(くらべうまえ)」と言われており、その「競馬会(くらべうまえ)」に、今治市菊間町(当時「菊万」と呼ばれていた)が馬を奉納したことにより今治市菊間町でも行なわれるようになったと言われております。
今から約600年ほど昔より、家内安全、五穀豊穣を祈願する菊間祭で行われていました。正装された馬に、お祭り用の蔵や装飾具をつけ6歳から15歳ぐらいまでの子供が「乗子(のりこ)」となり鳥居の所から境内までの約300mを一気に駆け上がります。

【住所】今治市菊間町浜1989

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高龍寺

高龍寺の写真

村上海賊の将、贈正五位村上義弘公の菩提寺であり、島四国へんろ第33番霊場でもあります。また、せとうち七福神めぐりのほていさんがまつられています。

【住所】今治市吉海町名2916-2

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禅興寺

禅興寺の写真

室町時代能島城主村上氏によって開かれた曹洞宗の禅寺であり、能島村上家の菩提寺です。寺近くに大楠がありその下には村上海賊能島の祖村上雅房公と奥方の墓(五輪塔)があります。

【住所】今治市伯方町木浦甲3645

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喜多浦八幡神社

 喜多浦八幡神社の写真

島最古の神社で1829年に奉納されたといわれる和船模型「八幡丸」は、水軍が使用したといわれる八幡船(ばはんせん)の貴重な模型で、神社本殿に安置されています。
また、2月の「弓放し」や4月に行われる境内内の芝居小屋(舞台)での村芝居奉納の「春市」等で有名。鳥居前には縁結びの「亀石」もあります。

【住所】今治市伯方町北浦甲1463

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大山祇神社

大山祇神社の写真

日本総鎮守と呼ばれ、全国に一万社あまりの分社を持つ神社。
境内中央には樹齢約2,600年の神木である大楠が鎮座しており、神社内の楠群は日本最古の原始林社叢の楠群として、昭和26年に国の天然記念物に指定されています。
社号標(大日本総鎮守大山祇神社)の社号石は、初代内閣総理大臣の伊藤博文が明治42年3月22日参拝記念に書いたものです。その昔は水軍の武将たちの信仰も集め、大山祇神社の神紋「折敷に三文字」を河野氏や来島村上氏が家紋にしています。

【住所】今治市大三島町宮浦3327

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阿奈波神社

阿奈波神社の写真

大山祇神社御本社の御祭神、大山積大神の御子女神にあたる磐長姫(いわながひめ)をお祀りする大山祇神社の摂社です。磐長姫は長命富貴の神として古くから篤い信仰があります。

【住所】今治市大三島町宮浦3327

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救世観音堂

救世観音堂の写真

瀬戸内海国立公園観音崎内にあります。
この観音堂は、第三代飛騨甚五郎が釘を用いず、一切を楔でとめ建立したもので、大同年間(806年)弘法大師が一刀彫りをした救世観音堂像は秘法として安置されています。30年に一度ご開帳されます。(次回:2042年)

【住所】今治市関前岡村

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姫子島神社

姫子島神社の写真

島の中央にある大きな神社。
1871年に三島大明神から改所し、現在にいたります。
毎年2月11日、県の無形民俗文化財に指定されている弓祈祷というお祭りが催されます。

【住所】今治市関前岡村

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